沢山の素敵な出会い頂き毎日が心躍って最近はいつでも泣ける状態のwdrgnですw
ここ最近ドイツ生活の話に重点を置いていましたが今日は心のお話です。
現地で知り合ったしらべさんのブログで紹介されていた津留晃一さんの記事に出会い泣き、
同居人が君の名のDVDを購入し子ども達と一緒に見て泣き、
自分自身の踊る心に触れて感じて感動している私ですw
私はドイツに心を自由にしたくて来ました。
「しなければいけない」という固定観念。
「自分を守る」という守りの姿勢。
とっぱらって許したくなったんです。自分を。何もかも。
多分これが「開放する」ということなのかなあ。
宇宙と一つになりたくなったといったらでかすぎかなw。
だけどそんな感じねん。なんて漠然 ハイ、漠然最高!
私がドイツに来た理由は色々あって事おりおり随所で触れてきてはいるけれど
「今を生きたい。」
これがド直球これに尽きます。
凄い不思議だけど今を生きるようになったら流す涙が温かくなった。
今を生きるようになったら生きるのが楽になった。
今を生きるようになったら目の前に来るリアルが嬉しくなった。なんだこのかゆいフレーズw
でも実際リアルがそうなんです。実感。感謝。あったかい。
なんだろう。この海にいる魚みたいな感覚。これまで無かったぞオイ。
ちょっとは自分に自信持てるようになったということなのかな。
いかにビビリマックスで前半40年歩んできたかはこちらから見れますw
不安な危険な環境にいればいるほど安全圏に自分を置きたくて、置く必要があるから置いちゃうんだけど、でも多分それはどんどん宇宙の法則から離れていくことになる。
不安だから自分を守り、怖いから自分を縛り、どんどん固くなっていく。
不安が嫌で鎧を付けたのは自分だったとやっと気づいた。
誰も鎧つけろなんて命令していない。自分で着ちゃったんだ。
身守りたくて。
でも一度鎧をつけると安心を手に入れる代わり不自由さが生まれる。こえ~ドラックだ
自分で決めたルールや自分の色眼鏡で自分を縛る行為は優越感と安心の代償として敵を生む。
だからアウェ感しかなかったんだ!なるほど!と今更また気づく
うまく出来てるもんだ。
その鎧を着ていたからずっと窮屈だったんだな
ぼんやりと自分を守る鎧の存在には気づいていた。
数年前公務員時代体を壊し入院3ヶ月した際、人生ドン底時代必死で現状把握しようとわらをも掴む気持ちであくせくしていた時に自分の鎧姿に気づく時期があった。
そのときは何で鎧を着ている自分なのか?過ぎてスルーしていた。
鎧着てどうこうより辛さ苦しさとにかく苦しみが最大マックスで溺れるのに必死だったw。
鎧を着ている自分をまず気づいて、次に着ている自分を受け入れ、そして今鎧を脱ぎ捨て自分自身で歩けるようになったのかもしれない!
ニュートラルに近づき始めたのかな、自分の中心を感じるようになったのかもしれない。
どんどん満ちてきている自分に驚きと戸惑いと、そして幸福感。
そしたら途端に不思議とどんどん表現したくなってきた。
不思議。初めての感覚。表現?
そう。この嬉しさ、感動を自分を表現したくなった。
今生、体を借りているんだもの。
ここに肉体がある間はどんどん感じたこと自由に表現していきたいと思うようになった。
「これをしなければいけない、○○を守らなければいけない」
という概念をとっぱらってどんどん開放していくと、
導かれる紐を感じるアンテナマックスに敏感に感じ始めたのかもしれない。
ドイツに来て導かれ「自分の直感で動く!」という今年の目標立てに繋がっている。
多分それは中国武当山で感じた「let it go」にも繋がっている気がする。
なんてミラクル!!!
すげええええ。ついに自分神化か!!!!こえええ ついに頭ふれたワシ
いやいやいや。だけどそうだよ。
以前は神様のとこにいたんだもの。
今生に降りる手前に自分で書いたシナリオはあるだよ。
ただ忘れてしまっただけで。
自我をどんどん解放して自分が書いたシナリオをどんどん心でイメージ感じていきたい。
紐をどんどんたどっていきたいし、たどっていくんだ☆
多分それは素敵な空を見る自分につながっている。
最高に幸せ☆
ということで来月ある
平和の祈り in Berlinイベント
に参加してきますw
凄い嬉しい。どんなイベントになるのか超ワクワク半端ない。
やっと自分をフルに感じ始めた私が外の世界に参加するのは久々ですw どんだけコモッってんねん
イベント詳細は上記リンクより飛べます☆
貴方も我が家もここで繋がっている皆様宇宙全員素敵な空つかみますように☆