ヒーラーりえです。今日、ちょっと長いです。
私はドイツから本帰国し現在は地元福井県勝山市に住んでいますが、当時シングルマザの私が子ども4人連れドイツベルリンで子どもと滞在期間がありました。
当時、子ども達は移民学校に通っていた。移民学校って世界各地シリア、イスラエル、内紛地域の方々が毎日押し寄せ学校どこ行っても移民者が目に入った。
家なくなって、地域が焼けちゃって何もなくなる。
家なくなるって、赤子持ってても、妊婦でも、生活に必要なもんが危険犯さないと自分と子どもに必要な物が手に入らない状況。毎日ひっそり狭い暗い部屋、家族親戚うじゃうじゃ固まって暮らす。学校なんて崩壊通えない一歩外出たら爆弾ガレキうじゃうじゃ破片だらけ。
だから、家捨てる決断安っいボードで赤ちゃん連れ飛び乗る人が続々増える。このままこの地にいてもいつか兵に殺される。家が消えたように自分の命も消えるイメージ連鎖される環境下。ここで死ぬか、活路見出すか、二択。
決断、よし前向こう、船出しようって思った所で用意できるのは小さいモーター定員10名程なボート。日本でいえば湖を恋人とオール持って渡る程度。そこに30人とか乗る。
無理だよ。転覆する。わかってる。わかってるけど用意出来た最善の策。
海上見つかって陸にまた連れ戻される。だけど、やらざるをえない状況。
自分子どもの命、活路見つけ出さなきゃ策、もうないねん。
後ろ見えても家が燃え家族全滅しかない状況で、前進むしかない。
少しでも見つらないよう夜中船漕ぎ真っ暗海に飛び込む。静かにそーと肩ひじ寄せ隣の人の体温感じながら自分奮い立たせ漕ぎ出す。
恐怖。不安。何度も嗚咽きそうなる。泣いて崩れる自分が何度も来る。
だけど、自分泣いてる場合じゃない。自分泣いたら全員泣きだし音監視員に見つかっちゃう。
私の友人は途中連れ戻され監獄ずっと入った。
退所後、再度彼は決断した。それでも俺はやる。自分家族の未来、俺は今やる。
自分と一緒に行かない土地に残る決断した肉親の分まで俺は活路をドイツに見出し再度家族を呼べるような状態なって家族に笑顔をあげたい。
彼は再度ボート用意しまたそこに30名程集まって出向した。
海の上昼は熱く、夜は寒い真っ暗。
数日後、ドイツ陸地に到着。写真全部保存してあった。
船出た時にいた仲間は数名既に海に散った。だけど残った彼の仲間たちで抱き合う写真瞬間の喜び映像が数々残ってた。
移民の方、こういう想いひっさげドイツやってくる。我が家は移民学校でそういう家族一杯あって子ども達は一緒に学校でドイツ語アルファベットから習っっていった。
世界では目に見えてあるものがない。
例えば家。1000人家探している人がいたとしたら、アパート物件は10軒て感じ。本当家がないんだ。それ位人がうじゃうじゃ移民集まってくるんだ。
我が家もそう。日本人、子ども4人、職は現地ドイツ会社じゃなくフリーランサー、下は保育園児てなるとドイツオーナーが嫌がる条件。信頼が無くて。お金出すっていっても信頼あげれなくて。難航し我が家は一年に4回引っ越し続けた。
いつも家なくなって後2週間後には青空ドカン生活がよぎる状態だった。
だけど、目に見えない世界では凄く満たされていた。不思議だったなあ。
日本は目に見えるものとても満たされてある。
家ある、水飲める、電気もある。子どもも学校いけて学問教わる機会もある。
だけど、目に見えない世界内紛状態に陥りやすい。
だけどね、物事はとてもとてもゆっくりな時間にあることだと思っています。
ただ生の単純な自分が普通って思って意識さえしていない、ただ掃除する、とか、窓を開け朝の空気入ってくる瞬間とか、子どもが元気にただいま!って帰っておかえり!って発するとか、ただ自然の中を歩く世俗な作業は ただ向き合ってそのことに集中したらそれこそが全体特別な贈り物こみあげる。
ドイツはただ自分に舞い降りる瞬間を両手広げて味わう方々が多いなって遭遇機会めちゃくちゃ多かったていうのがあたしの学びです。ドイツで頂いた🍎着実にひとつひとつここ、福井県勝山市で今味わっています。
ただただ、サンプラに買い物いける自分が嬉しくて。
ただただ、空コーヒータバコが嬉しくて。
普通な一枚の木漏れ日が、音が、動作が、特別な神秘に満ちた神聖世界プレゼント。これって昔おじいおばあが見ていた世界に自分がいれる至福。
だから、あるものはない ないものはある 全部同じ流れの一片。
今日も光燦々だなああ 愛燦燦 いてらさい🍎
移民学校手続き移民者家族並ぶ時間 暇だったから廊下で遊ぶ凪と朔太郎
移民学校 このお父さんは自分の家族妻娘2人現地で爆弾いっぺんになくして1人でドイツ渡ってきた。
さくたろう 移民学校 初期
ドイツ小学校パーテイ中 担任の先生 太陽な方。苦しんでる人ほっとけなくて我が家も凄くずっと最後までお世話頂いた。急遽本帰国決め家も仕事も大使館帰国手続き通常3か月係る所を1週間で日本戻らなあかんくなった時彼女がずっとあたしサポートしてくださった。本当、数々の救世主頂きました。